「あの時指標はどう動いたか?」として執筆するシリーズ第一弾。
株式市場や為替市場の歴史的出来事発生時に、テクニカル指標がどう動いたか、どのような推移を見せていたかを振り返ります。
当時のレートと指標の推移を追跡、分析、考察、学習し、今日の相場を考える端緒を提供しています。
第一弾は、1989年の日本株上昇・最高値からバブル崩壊に向かう1990年にスポットを当てました。
1989年日本経済の最盛期、日経平均の最高値の記録、そこから始まる暴落とバブル崩壊への道筋。
その時、テクニカル指標はどう動いたか? 見ていきましょう。
平成のバブル崩壊:テクニカル指標からみる日経平均の暴落とその後の影響
日経平均株価の暴落とその背景
1989年の株価動向と経済状況
1989年、日本経済はその史上最盛期にあった。
この年、日経平均株価は30,678円でスタートし、経済の好況を如実に示していた。
この時期、バブル経済と称される市場状況は、株価の不自然な高騰を引き起こし、多くの投資家と分析家がその持続性に疑問を抱いていた。
株価は企業の基本的な価値よりもかなり高いレベルで取引されており、この過熱状況は日本経済の将来に暗雲をもたらす兆候となっていた。
バブル最高値の達成と警戒感の高まり
1989年の12月29日、日経平均は史上最高値38,915円を記録し、この数字は日本経済の強さを象徴しているように見えた。
しかし、この急激な上昇は多くの専門家によって持続不可能と見なされていた。
株価が企業の実態と大きく乖離していることに対する警戒感が市場に広がり、バブルの崩壊への懸念が高まっていた。
1990年の急激な株価下落
1990年に入ると、バブルは突如として崩壊を始めた。
4月2日には日経平均は歴代2位の下げ幅となる1,978円を記録し、この下落は日本経済に大きな衝撃を与えた。
この急激な下落は、市場参加者にパニックを引き起こし、売りの連鎖反応を生んだ。
株価の暴落は、日本経済の過剰な楽観論がいかに脆弱だったかを露呈した。
日経平均の下落と回復の過程
1993年までの株価動向
年号が平成に変わってからの数年、1990年代初頭、日経平均は深刻な下落を経験し、投資家の間に不安が広がった。
1990年の急落後、株価は安定せず、市場は極度の不確実性にさらされた。
この時期、日本経済は長引く不況の影響を受け始め、それは株価の動きにも反映されていた。
国内の企業業績の悪化や国際経済の動向が、株価に直接的な影響を与えていた。
国内景気の回復期待とその影響
1993年に入ると、市場は国内景気の回復を期待し始めた。
この期待は、一時的な株価の上昇につながり、市場の一部で楽観論が広がった。
しかしこの上昇は短命で、日経平均は再び下落の道を辿ることになった。
この期間の株価の上下動は、国内外の経済状況と密接に連動していた。
政策変更と金融機関の不良債権問題
1990年代半ば、日本政府は経済政策の変更を余儀なくされた。
特に金融機関の不良債権問題は、株価に大きな影響を与えた。
不良債権の増加により多くの金融機関が破綻し、これが市場の信頼を損ない、株価のさらなる下落を引き起こした。
この時期、政府と日本銀行は、金融システムの安定を目指して複数の対策を講じた。
1996年の再下落とその要因
1996年、日本経済は緩やかな回復の兆しを見せていたが、この回復は脆弱で短命だった。
株価は再び下落し、投資家の間には再び悲観論が広まった。
この年、多くの企業が業績不振に陥り、それが株価に直接的な影響を与えた。
また、国内外の政治経済の不確実性が株価に影響を与え、市場の不安定さを増大させた。
景気刺激策と株価の上昇
小渕恵三首相の景気刺激策
1990年代後半、日本経済は複数の政策変更を経験した。
特に注目すべきは、小渕恵三首相の下での大規模な景気刺激策だった。
政府は経済の活性化を目指し、複数の施策を展開。
これには、大手銀行への公的資金注入や税制改革、インフラ投資の増加などが含まれた。
これらの施策は市場にプラスの影響を与え、投資家の信頼回復に一役買った。
公的資金の注入と株価上昇
小渕首相の政策の中核を成したのが、金融機関への公的資金注入だった。
これにより、不良債権に苦しむ銀行が救済され、金融システムの安定化が図られた。
この公的資金の注入は、市場の信頼を再構築し、日経平均の上昇を促進する要因となった。
1999年の日経平均の回復
これらの施策の結果、1999年には日経平均は36.8%の上昇を記録した。
これは、日本経済の回復への確かな一歩と見なされた。
この時期の株価上昇は、国内外の投資家に日本経済の安定化への信頼を与え、新たな資本の流入を促した。
テクニカル指標と経済政策の関連
この時期の日経平均の動きは、テクニカル指標によっても確認される。
移動平均線やボリンジャーバンドなどの指標が示すトレンドの変化は、市場の回復傾向を明確に示していた。
また、政策変更がテクニカル指標に及ぼす影響も顕著で、特に政府の経済刺激策が市場の動向に大きな役割を果たした。
バブル崩壊前夜~崩壊のテクニカル指標
バブル崩壊前夜のテクニカル指標分析
1989年のバブル経済のピーク時、日経平均は著しい上昇を見せた。
この時期のテクニカル指標は、市場の過熱状態を示していた。
RSIは1989年後半の株価の上昇に反し、最高値を付ける12月29日以前の10月初旬から下降を見せていた。
また、サイコロジカルラインは、12月29日向けて大きな上昇を見せ、15日線では11月末に90%超をつけた。
同様に、サイコロジカルライン45日線も12月末に75%を抜ける上昇をつけている。
いずれも相場の過熱感と過度な上昇を示唆するものであった。
これらのテクニカル指標は、株価の動きを客観的に分析する上で非常に重要なツールとなっている。
バブル崩壊直前の市場動向
1990年初頭に向けて、市場の動向は急速に変化した。
株価のボリュームや取引高の急増が見られ、これは市場の不安定さを示唆していた。
さらに、ボリンジャーバンドの幅が拡大し、株価のボラティリティが高まっていた。
これらの兆候は、市場の崩壊が近づいていることを暗示していた。
崩壊時の株価とテクニカル指標
1990年初頭には日次の長期線を割り込み、上昇トレンドの終焉を見せている。
2月に小上昇を見せるも長期線がレジスタンスとなり、突破はできなかった。
その後、1990年4月2日の大陰線に向けて下落。
ボリンジャーバンドは幅を拡大し、移動平均線は高角度で下降。
株価は重要な支持線を下回り、市場の悲観論が強まった。
これらのテクニカル指標の変化は、市場の極端な変動性と不確実性を反映していた。
崩壊の原因分析と指標の役割
バブル崩壊の原因は複合的だった。
経済の過熱、企業の過大評価、政策の失敗などが挙げられる。
テクニカル指標はこれらの要因を直接示すものではないが、市場の感情とトレンドの変化を捉える上で重要な役割を果たした。
これらの指標は市場の過剰反応や過小反応を示し、投資家たちに警鐘を鳴らしていた。
バブル崩壊後~復調までの長期推移
崩壊後の月次・年次指標の動き
平成時代のバブル崩壊後、日経平均は様々な波を経験した。
この時期、テクニカル指標は市場の動向を示す重要な手がかりとなった。
月次や年次のデータによる分析では、特に移動平均線の傾向が注目された。
この指標は、短期および長期の市場トレンドを示し、投資家たちに価値ある洞察を提供した。
日経平均株価の長期的推移
バブル崩壊後の日経平均の長期的推移を見ると、1990年代から2000年代にかけての市場の復調が見える。
公的資金の注入や経済政策の変更などの要因により、市場は次第に安定を取り戻し、投資家の信頼感が徐々に回復した。
この期間の株価は、様々な経済イベントに影響されながらも、全体的に上昇傾向を見せた。
(外部リンク)Google finance(グーグルファイナンス)日経平均株価